ナンシー関
ナンシー関さんは大好きな消しゴム版画家、コラムニストです。最初は、山田詠美さんのエッセイの中にちらっと名前が出てきて、怖い人なのかな、というイメージがあり、入っていけませんでした。友人が面白いよ、と言っていたので、読んでみると、それが面白かったです。
2002年に39歳という若さで虚血性心不全で亡くなってしまいました。その日のワイドショーのことを今でも覚えています。
主な著書
テレビ消灯時間シリーズ
(1997〜)テレビ消灯時間(1997)テレビ消灯時間2(1998)テレビ消灯時間3(1999)
耳シリーズ
(1994〜)小耳にはさもう(1994)耳部長(1999)
何をシリーズ
(1992〜)何様のつもり(1992)何をいまさら(1993)何の因果で(1995)何もそこまで(1996)何がなんだか(1997)何がどうして(1999)など。
【作品について】 - 作風
私にはテレビを見る時期と見ない時期がはっきりと分かれていました。小さい頃は、好きな番組を純粋に見ていて、段々と周りがドラマの話をするようになり、ドラマは見なかったのでついていけませんでした。ドラマを見るなら「火曜サスペンス劇場」です。
その後しばらくテレビを見なくなり、高校生になってから、テレビを見るようになります。ある歌手を好きになって、録画を録るようになりました。
しかし、その中には、今まで嫌っていた番組や、理解できないものが多く、不満も多かったです。しかし、好きな歌手が出ているので、目をそらせない。
そんな時に、ナンシーさんがテレビの節操のない表現に対し、不満を表してくれました。何故不快なのか、どこが不自然なのか、といったことを書いてくれたおかげですっきりしました。
ナンシーさんが不快に思うのは、規制のない報道についてだと思います。見ないで済むなら見ないけれど、どうしても見なければいけない時、一緒に戦ってくれているような気さえしました。
普段流してしまいがちな点をナンシーさんはじっと見つめ、問題提起してくれました。いかに女性たちが社会で生きやすくなるかを模索しているフェミニストにも人気があります。
ナンシーさんとお別れしてから
父の週刊誌で見ていた矢先でした。亡くなった日の朝から、いろんな番組で騒がられていました。本の世界の人でこれだけ騒がれたのは、テレビに出ている人を対象に彫ってきたからでしょう。とはいっても、テレビに出ている人にとってはほっとした人もいれば、名前すら知らない人もいたと思います。
朝のワイドショーでも、自分が彫られたという人は、自分が彫られてつっこまれて、ショックだったとか。でもそのつっこみも的を射ていたし(司会は向いていないという内容)、悪い感じがしませんでした。ナンシーさんのつっこみでも、物凄い嫌悪を感じている相手と、情があってつっこむ相手がいて、その人は後者でした。だから喜んでも良いくらいです。
ナンシーさんを慕う人は、テレビ界を引き締めてくれる存在がいなくなってしまった、後に続く人が出てこないと嘆いています。ナンシーさんがいなくなり、今はどこで何をしているのかわからない人たちもたくさんいます。ナンシーさんの予言は当たりました。今まで時間を共有していると思っていた人の時間が止まってしまった。そんな気がしました。
その後、2002年7月にはスタンプ葬、2003年8月にはナンシー展が開かれ、お別れを惜しみました。もう何年も前のことのように感じます。ナンシーさんが亡くなってからも、総集編などの企画が出て、本になっています。